昭和60年・刑法第1問

問題文

 甲女は、生後四箇月の実子Aの養育に疲れ、厳寒期のある夜、人通りの少ない市街地の歩道上に、だれかに拾われることを期待してAを捨てた。そこを通りかかった乙は、Aに気付き、警察署に送り届けようとして、自己の自動車に乗せて運転中、過って自動車を電柱に衝突させ、Aにひん死の重傷を負わせた。乙は、Aが死んだものと思い、その場にAを置き去りにして自動車で逃走したところ、Aは、その夜凍死した。甲女及び乙の罪責につき、自説を述べ、併せて反対説を批判せよ(道路交通法違反の点は除く。)。




答案構成

一 甲の罪責
1 Aを人通りの少ない市街地の歩道上に遺棄→保護責任者遺棄罪成立
 (なお、人通りの多い市街地や、あるいは病院のベッドへの遺棄の場合は、結果発生の危険が少ないので成立を否定する余地あり)

2 では、Aの死の結果も甲の遺棄行為に帰責できるか?→因果関係が成立するかどうかが問題。
(1) 因果関係の判断基準・・・相当因果関係説に立つ→条件説では因果関係が広がりすぎるので否定。
 では相当因果関係の判断基底は?→主観説、客観説、折衷説とが対立
 因果関係の存在につき客観的要素を考慮しないのは妥当ではないが(主観説の否定)、そもそも、因果関係とは、結果に行為を帰責させるための構成要件要素であるから、客観面のみでその有無を判断するのも妥当ではない。よって、「行為時に一般人が認識しえた事情及び行為時に行為者が特に認識していた事情」のもとに判断する折衷説の立場が妥当。

(2)「Aの凍死」という結果は一般人が認識しえた事情(厳寒の中、人通りの少ない通りに嬰児を放置)に照らせば、相当因果関係の範囲内のように思えるが、その過程で乙の行為が介在している点をどう評価すべきか?
→折衷説の立場からは、「行為者が特に認識していた事情」も因果関係の判断基底に含まれるから、その認識内容が異常なもの(人通りの少ない市街地で、たまたま人が通りかかる)であっても考慮される。

3 結果的加重犯の加重結果につき過失を必要とするか?→責任主義の観点から必要と解すべき。
 (もっとも、本問の場合、甲はだれかに拾われることを何も裏付けなく期待したのにすぎないから、過失は肯定されるので、結論に影響はない) 

4 結論
 甲に

二 乙の罪責
1 自動車事故でAにひん死の重傷を負わせた点→業務上過失致傷罪成立
2 Aの死について、死体遺棄の故意で保護責任者遺棄致死の結果を発生させた点→死体遺棄の故意と保護責任者遺棄の故意とが重なり合うかが問題になる→異なる構成要件間で生じた錯誤(抽象的錯誤)の問題→構成要件が重なり合う限度でなら、規範の問題に直面している以上、故意を認めてよい(法定的符合説)→本問の場合、両構成要件は保護法益が異なるので、生存者の遺棄の故意は認められない。

3 また、




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